この頃は縄文だけでなく旧石器から古墳時代まで、
日本の超・上古代を幅広く知っていきたいなと思っています。
資料をとてもしっかり作成されていて、N〇Kの歴史番組にも出演されているだけあって
お話も巧い講師の方でした。
こちらの講座が資料代だけで聴けるのは、なかなかありがたい機会でした。
さすが明治の利権王の一人、渋沢栄一関連の施設とも言えますが…
○ ・古墳・埴輪の概要
一般的には形象埴輪のイメージが強いが、円筒埴輪が大部分を占める。
円筒埴輪は弥生時代から原型がある。器と器台に分けられた状態から
3世紀後半~4世紀前半に一体化した。
5世紀後半~様々な人物・動物が造られ、祀りの全容がわかりやすくなる。
(鳥型は4世紀前半から見られる)
古墳は前期は竪穴式石室だった。6世紀中盤~横穴式になっていく(追葬できるようになる)
几・北区の古墳の紹介
十条台1号墳
中里貝塚:奈良時代寺を造る際に墳丘が削られ、中里貝塚の方に落ちた可能性あり
赤羽台4号墳:こちらは戦時中軍が削ってしまったとのこと
それぞれ埴輪の色、硬さに特徴あり。
埴輪は横穴式になったことで生成された古墳のテラスに並べられており、
すぐ外の周溝に落ちた状態で発見されることが多い。
△・窯跡の概要
さいたま古墳群:大宮台地にある埴輪生産地・生出塚(おいねづか)埴輪窯跡をピックアップ。
窯は中央の深い穴(灰などを掻き出しておく灰原)からしり上がりの横穴に彫られ、
数回使うと寿命が来るが、
灰原を再利用して、放射状に次の窯穴を作成。
非常にきれいな状態の形象埴輪が出土している。
弓・円筒埴輪の大きさと古墳の規模
円筒埴輪の帯状の膨らみは突帯と呼ばれる。その本数は埴輪の大きさによっても変わる。
古墳の大きさは3段階に分けられる。
そして円筒埴輪の大きさは、古墳の大きさに比例することが多い。
第1系列:宗主:埴輪は6条突帯
第2系列:宗主に次ぐ権力者:3-4条突帯
第3系列:服属者:2条突帯
円筒埴輪の突帯の編年は4期に分けられる。
後に作られた物ほど、一番下の突帯から底までが一番長く作られることが多い。
□・関東地方の古墳時代勢力図に範囲を広げての古墳の立地分析
赤羽台4号墳は埴輪の型式から6世紀後半のものとされる。
荒川で分けられた北・南武蔵の南武蔵の北限の要衝の立地であったため、
本来は供給範囲外の生出塚(おいねづか)埴輪窯の埴輪がおかれた。
534年の武蔵国造の乱
関東の豪族笠原氏の使主と同族の小杵のの勢力争い・使主氏が大和朝廷の力を借り勝利。
古墳は流通の要や国境の川沿いの目立つ位置に作られたことも多い。
赤羽台4号墳に北武蔵の埴輪を置くことで、
南武蔵の一部は、北武蔵の領有範囲だと主張していたと思われる。
それに伴い武蔵国造の乱は、南北武蔵を巻き込んだ争いであったと古墳から読み取れる。
埴輪の基本について、特に円筒埴輪を重点的に取り上げてくださったのも
今までカバーしていない部分でしたので大変参考になりました。
その後『検証ホツマツタヱ』で銅鐸の意味を分析した記事を読み、
深鉢土器→銅鐸→円筒埴輪につながっている見解があることも知りました。
埴輪の種類は円筒埴輪が一番古くからあって、形象埴輪より圧倒的に数が多く、
祭祀の基本となっているのもポイントですよね。
銅鐸の意匠は省略されているものも多いですが、完全版と思われる銅鐸を見ると
上部(把手)にはアメノミオヤが鎮座するサコクシロ、
その下の渦がアメノミオヤの神馬や光の鞭、
そして五本の横帯は、ホツマ五元素(空・風・火・水・土)を表しており、中央
の縦線はアメノミオヤから下されるエネルギーを象っている。
※ちなみに、○~□まで、五元素のヲシテ
(几・弓は形の似ているもので代用)を項目につけてみました^^
縄文土器の火焔型はアメノミオヤの渦。
また、顔面把手から中央に降ろされた縦線は、エネルギーと見ることができる。
そして円筒埴輪の突帯は、銅鐸のホツマ五元素の帯に対応する。
三時代それぞれを代表する三種の遺物の持つ意味が共通していて、
連続性を読み取ることができるという画期的な見解ですね。
縄文土器というと、ほぼ出産の解釈に直結しがちなんですが、もっとスケールの
大きい解釈ができる可能性は発見でした。
子供の亡骸を収め『土器を逆さ』にして埋めた葬法は、もしかすると末広がりの
銅鐸の形のもとになっているのでは?と今思いつきました。