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お茶のこ彩々別館・古代史・神社のお話

日本の裏古代史(主に縄文~古墳時代。上古代の重要文献『ホツマツタヱ』)勉強中の一般人が、勉強で感じたことや神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います

ヤマト王権誕生の礎となったムラ 唐古・鍵遺跡(2019年)




明大の墨書土器研究会で紹介されていた資料に興味を持ち購読。
ブックレット式でなんとオールカラー。内容も結構充実していて良いです。
唐古・鍵遺跡が昭和期の護岸工事の土取りのため池底の土を使用することが
発掘の機会となったという経緯まで書かれていました。

纏向遺跡に先行する奈良盆地の代表集落です。
川の水を引き入れて運河としても利用していたようです。
楼閣をメインとした掘立柱建物が多くあります。

絵画土器も大きな注目点。楼閣やシャーマンの姿、
矢を受けた鹿の図柄が見られます。
弥生土器というとシンプルなものしか一般には知られていませんが、
絵画土器という大注目資料があることを初めて知りました。
(弥生時代の絵は一般的には銅鐸のほうが有名かと)

そして絵だけでなく記号についても言及されています。
文字と同じように用いられたとみられるとのこと。
ヲシテ文字の子音部分と同じ形が見られてたいへん興味深いです。
文章になっていたものはやはり秘匿されていたのか。

織布も出土していますが炭化していて染の色はわからないそうです。
また、最近の発見で更新された情報もありますね。
この本では鶏は雄鶏だけ持ち込まれて繁殖をしていなかったとされていますが、
今年繁殖をしていた形跡が発見されています。

そして有名な資料の一つ、勾玉の入った渇鉄鉱容器についても
詳しく書かれていました。
渇鉄鉱の中で生成される清浄な粘土が秘薬とされたんですね。
正倉院にもその粘土と見られている遺物があるとのこと。
粘土が中で乾燥して縮まり鈴の玉のように
音を立てることから「鳴石」ともいわれるそうで。
日本での製鉄は弥生時代からとのことですが、
まだ鉄は貴重とされていたということかな。

最後は大規模な川の氾濫があって、中心が纏向に移行したと思われます。
纏向の前に位置するサブ拠点としての役割を果たしたとのこと。

纏向の別会社出版のブックレットも読んだことがありますが
わりと邪馬台国近畿説を意識した内容で個人的にはいまいちだったので、
隣接する唐古・鍵位置関係も発掘の経緯から詳しくわかり、
良書だったと思います。

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プロフィール

HN:
茶人(別HN:さいおん南)
性別:
女性
自己紹介:
2019年までは普通のアニメ映画好き。この数年で一気に裏情報を知った者です。一応歴史を専攻していましたがそれまではそこそこ。裏古代史を知って俄然やる気が出てきて、人生史上一番本を読んでます

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