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お茶のこ彩々別館・古代史・神社のお話

日本の裏古代史(主に縄文~古墳時代。上古代の重要文献『ホツマツタヱ』)勉強中の一般人が、勉強で感じたことや神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います

2021年12月:大阪・京都神社参拝旅行記

こちらでははじめての記事になります。よろしくお願いいたします。(ほかのジャンルでは10年程度、忍者さんのブログでまったり書かせていただいております)

本ブログでは、日本の裏古代史(主に縄文時代ホツマツタエ関連)に目覚め、勉強中の一般人が、神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います。

勉強中のため間違っているところもあると思いますが、ご容赦くださいませ。




12月前半、大阪・京都に行ってきました。
紅葉はアップにするとちょっと終わりかけ感はあるものの、遠景はいい感じ。
本当は1日目はフィギュアスケートのグランプリファイナルを観る予定でしたがまあアレの影響で中止。
2日目に行く京都の案は練りこんであったし、キャンセル料も3分の1出てしまうので1日目の大阪の行程を急遽算段していくことになりました。
毎回新幹線に乗る時は富士山を楽しみにしてるんですよね^^

良く見えました。いつも注目している蒲郡みかんも。

2日ともお天気は上々でした。




【1日目】





『住吉大社』

14時台に到着。今回は由緒が旧そう、ホツマツタエにゆかりの深そうな所を中心に行ってみたいと思いました。
Navi彦さんのブログ『つつがなき神様めぐり』をおもに参考にさせていただきました^^すごい情報量でありがたく拝見しております。



ホツマによると、住吉大社はカナサキ様を祀っているそうです。
和歌を発展させたワカ姫様(アマテル=天照大神〈ホツマでは男性〉の姉)のご養父さんで、ご本人も和歌の三神に数えられる。
九州の航海術に長じた一族出身であり、大型船の亀船を発明。九州の統治を、住吉大社で中心に祀られる三神:底土(そこつち)赤土(あかつち)磐土(いわつち)に任じたとのこと。
また、アマテルのひ孫のホホデミ様(山幸彦)とカナサキ様の孫の豊玉姫様の子、ウガヤフキアワセズ様は神武天皇の父とされる。
というかなり重要な神様ですね。



カナサキ様は『回り歌』で荒海を鎮めたというお話もあるそうで。
現在まで七福神の宝船の歌として残っているとのこと!

「長き夜の 遠の眠りの みな目ざめ
 波乗り船の 音のよきかな」

これって、まさに今の状況を歌っていると思いませんか?
永い眠りについていた日本の皆さんが日本の本当の源流にきづいて、目覚めるのはきっともうすぐ…と思いたいものですね。


橋の角度がちょっと急なので面白い^^

そして、北斗七星を模しているという、不思議な本殿の配置が目を惹きますね。

神獣のうさぎの像は新しそう。(うさぎ追加はこの頃の傾向ですね。わたしもうさぎ推しなので萌えざるをえない)

ウサギは卯の花を咲かせる空木から、ウツキネ=山幸彦(ホホデミ様)との縁がも読み取れるとのこと。
そして、縄文時代とのつながりを感じる糸魚川産ヒスイ製というのも大注目ポイント!



摂社『南珺社』の大楠も見事。

招き猫を集める『発辰参り』は庶民信仰とつながった楽しそうな行事ですね^^

写真上の『浅澤社』は、畳の座椅子と思われるスペースがあるのがステキでした。
お隣の『大歳(おおとし)社』のおもかる石は2回目の重さを感じたかな。まだまだ勉強ですね。




『坐摩神社(いかすり)』

住吉大社を創建した神功皇后ゆかりの、摂津国一之宮ということで参拝してみました。
難波で降りて徒歩で向かったのでちょっと遠かったです。関西は道幅広いですね。

到着は暗い時間帯になりましたが、御朱印はいただけました。神功皇后に縁があるという鷺が神獣。特徴的です^^




写真下は『坐摩神社行宮(あんぐう)』です。

宿から近いようなので、ついでに行ってみました。もう閉まっている時間でしたが。
秀吉が大阪城を整備する際船場に遷されるまでは、坐摩神社は天満橋に鎮座していたそうです。
宿が天満橋になったのはちょっとアクシデント的だったのですが、これも縁ですかね。

宿は京阪天満橋。清掃はまあ問題ないしフロントの感じも良いですが、如何せん施設が古いですね。
窓が薄いため寒気の流れを感じつつ、下の道路の音がかなり聞こえます。
次の機会はもうちょいグレードアップしたいかなと思いました。









【2日目】



8時過ぎに天満橋発、JR新快速で京都へ。この路線は大阪から京都・滋賀に行くときは定番です。
後から気づきましたが京阪で京都に入って、東福寺で乗り換えて京都駅というルートもありだったかもですね。でもJRの方が快速のスピードが速そうな気も。
天気は上々、バスで上賀茂へ一気に上るコースです。途中に二条城、晴明神社がありました。





『賀茂別雷神社(上賀茂神社)』

ホツマによると豊玉姫様(ホホデミ=山幸彦の奥さん)が、義理の父にあたるニニキネ様(アマテル様の孫にあたるアマカミ様)を祀ったのが始まりとされます。
豊玉姫様が山幸彦様と仲たがいをしてしまったときに、ニニキネ様が葵を例えとして諭したという話から、葵を紋所とするそうです。

※因みに九州出身の豊玉姫が京都に着いたところとされるのが、『貴船神社』とのことでホツマでの祭神は豊玉姫とされます。

橋の上から賀茂川上流を眺めつつ。

そして、のっけから入口鳥居前の『賀茂大社』の標示石に注目。

本来は大社格とされるような由緒なのだと思います。ですよねアマカミ様ですもん。

参道は葵祭の行列などにも使うためか、広々としています。大きな木があり、境内前にある小屋に神馬がいる時もあるみたいです。

境内に入りますと、まず特徴的な立砂が目に入ります。頂上に松葉がきれいに立ててあります。アンテナっぽくもある。

ご神体の神山をかたどり、2つに分けて陰陽を表現しているともいわれますね。松葉の本数が2本と3本と言うのも陰陽かな。
ニニキネ様は雷を火(陽の性質)と水(陰の性質)に分けてコントロールされた功績で別雷(ワケイカヅチ)という名前を持っているので、2つの山はそれを表現しているってことかも。
そして砂で景色を表現するのは、枯山水の元ネタとも言えるのでは。


花手水がまたステキです。橘の実が手水にかわいらしくにぎやかに浮かんで、とてもキレイでした。

柑橘類が浮かんでいるのは初めて見たと思います。花はSNS映え系でよく見ますが。
ホツマではカグの実=橘を聖なる果物として、ハタレ(反乱軍)退治にも使っていますね。正統な由緒を感じます。
静岡の戸田(へだ)から奉納されているそうです。原種遺伝子を持ち、日本最大で北限の自生地と言われています。
これもきっと縄文時代からの繋がりですよね…さす賀茂。



馬型の御籤むすびも面白いなと思いながら、本殿へ。

ニニキネ様にご挨拶を。

そして境内を流れる小川がとてもキレイです。水が澄んでいて手入れが行き届いていて、浄化される感じがしますね。
小川に沿って摂社・末社を回って行く感じになります。

「岩上」という磐座に結界が張ってあります。川の入り口にも張ってあり、力があるスポットの中にいる感が増しますね。


客層は平日昼間と言うのもあるのか、女性が多いですね。ちょっとマニアな、神社好きな方が多そうな印象でした。ノーマスクの女性2人組もいらっしゃいましたよ^^


『二葉姫稲荷神社』

上賀茂神社に併設されています。石段を登っていくと、キレイな町を見下ろせます^^

お稲荷様はもちろん、不動様も祀られています。不動様が瀬織津姫様の化身(アマテル様の正妻)だという話を最近知ったことを思い出していたら、ぱっと光が差し込んだんです^^

やはりそうなんですね!と思いつつ。

『天之斑駒神社』というのは珍しいですね。上賀茂は馬が神獣ですし、ホツマでは乗馬術が重視されています。

また、ホツマにおける創世の神・アメノミオヤノカミ様(天御祖神様)は馬に乗って地球創成をしたということで(この描写がまたカッコいいのです)また感慨深いですよね。

上賀茂神社の境内に戻り、御朱印をいただきました。ベテランの女性の方が丁寧に書いてくださいました。『神』のところをくるっと処理するのがヲシテ感ありますね^^

上賀茂神社が一通り満喫できたので(今気づいたのですが見逃していたお社があったみたいで…またの機会に参拝する理由が増えましたね。)時間を見てこれなら直接下鴨へ降りるのではなく、少し東の方へ行けるか、とステキな趣の社家町を歩いていきます。

境内から流れでる小川沿いに存在感のある楠が。

こちらが瀬織津姫様を祀る『藤木神社』でした。大田神社にも近いと思ったので行ってみることにします。






『大田神社』

上賀茂神社の摂社です。天鈿女命様と猿田彦様を祀ります。この地域では一番古い神社だそうです。
参道をキレイに整備中。ステキな雰囲気の境内です。

杜若の名所だったということで、杜若のモチーフのグッズがありました。
勾玉に杜若が入っているデザインのお守りがあって買えばよかったかな…。上賀茂は杜若の季節などにぜひまた行ってみたいです。


ここまで来たらさらに東の深泥池(みぞろがいけ)(氷河期の生物が現存している貴重な池)まで、閑静な住宅街を、山を左手に歩いていきます。ところでバス停はどこ?となり、深泥池はパッと見たくらいになりましたが。



鴨がいっぱいいて(さす賀茂という感じ^^)釣りをしているおじ様たちがいました。
バス停を見つけ、下鴨に下ります。




『賀茂御祖神社』(下鴨神社)

上から来たので、表参道の糺の森は後に通るルートになります。

ホツマでは、豊玉姫様と一緒に京都にやってきた、兄もしくは弟(諸説あり?)のタケツミ様を祀ります。タケツミ様は神武天皇の母・玉依姫様の父親です。
上賀茂、下鴨共に江戸時代初期に建て直されている建造物が現存している感じになっていますね。とくに下鴨は、文明の乱で焼失してしまっているようです。

本殿が面白い作りですね。ご本社前に干支ごとの祠があります。屋根が仮設っぽいのが気になりますが、これでいいんでしょうかね…?

まだまだ勉強中のためすべての神様はまだわからないのですが、大物主、大己貴、大國魂、大国主神様たち辺りはわかってきているので、今後も勉強したいです^^

上賀茂と同じく境内に小川が流れています…が、忌憚ない意見を言うと、流れのつくり、水の美しさ、圧倒的に上賀茂が魅力的ですね。

当初は縄文の遺跡(北白川や岡崎)との近さの関係で下鴨だけしか注目してなかったのですが、調べるうちに上賀茂に行くことにしました。本当に上賀茂に行って良かったです。

本殿の左奥に瀬織津姫様を祀る『御手洗神社』があります。小川の上に社が造ってある面白い趣向です。
それにしても、下鴨はかなり天皇家御用達と言う感じなんですね。菊の御紋が目立ちます。
一方上賀茂は二葉葵の御紋だけを使っています。上賀茂では日本のより古い信仰が守られていることが現れているのだろうと思います。
そして逆に見ると、下鴨は世情、時の権力に翻弄される役割を引き受けて上賀茂を守っているのかも知れませんね。

縄文時代、ニニキネ様と優秀な部下により湿地だった京都は開拓・整備されたとのことです。
その威光は古代を通して続いたけど、平安遷都で主に下鴨が朝廷に従ったということなのでしょうね。

グッズがかわいいものもあり、クリアファイルなど購入しました^^古事記の本も売ってましたね。やはりなあという感じ。

上賀茂はホツマを推しているように見受けられるとのことですが、本は置いてはいませんものね。置くことができる時代が来て欲しいものです。

商売っ気があるということは俗っぽい。けど親しみやすいともいえますね。結婚式を2組ほど見ました^^上賀茂でも結婚式は行っているみたいですが、見なかったのは時間帯の関係かな?


楼門の形は上賀茂とそっくりですが、楼門の位置関係が違いますね。

上賀茂は本殿メインに大事な場所をがっちり守ってる一方、下鴨は⑯の横の門が楼門で、小川や御手洗社も含む、もっとオープンな範囲に配置されている印象です。
いち会社員的には、セキュリティゾーンの違いを感じました。

楼門を後にして、糺の森を通常とは逆に進んでいきます。上賀茂と比べると人が多い印象です。これも時間帯かもですが。



『河合神社』


下鴨神社の摂社ですね。皇室の繁栄?を祈りませうと書いてありました…
裏情報を知っている身としては、正統な皇室ならもちろんいいですけどね。と思いつつ。
鴨長明のご実家と言うことも初めて知りました。彼が神官を継がなかったのは、朝廷への反発心があったのかもなと…鴨だけに。
方丈記が日本三大随筆と覚えさせられますが、そのバックボーンについて教えられることはないのが今の教育ですね。

ラグビー神社などもあり、俗世を引き受けているなーと思いつつ、糺の森を出て賀茂川デルタへ。

昼休憩をちょっととり、この時間なら北白川に行けそうだということで、バス停に苦戦しながら、北白川の銀閣寺前に向かいます。
途中に京大の施設が見えます。







『北白川天神宮』

銀閣寺の北に回っていきます。川からあまり離れずに上っていくと閑静な住宅街の中に現れます。

足利義政が銀閣を造成するとき、決まっていつも馬が立ち止まる地点があり、そこを調べると祠があったので今の場所に移し、丁重に祀ったとのことです。
起源はかなり古いということですね。京都で一番大きな縄文遺跡がありますので、やはりその時代からではないかと。
祭神は少彦名様(スクナヒコナ)。一寸法師のモデルと言われていて、渡来人で医療の知識を持っていたとも。
一寸法師は小柄ということで、実はレムリア人(小柄だと聞いているので)だったりしたら興味深いですよね。(突然のスピネタですが)

下向きに傾斜がついているボリューミーな石段が疲れた足にこたえつつ、登っていきます。
お神輿などを担いで下るとしたら、結構スリルがありそうです。

穴場な神社なので、独り占め状態でした。帰りの石段ですれ違うくらいには参拝者はいらっしゃいますが。幽玄な空間です^^

ご神水がとてもいいみたいですね。地元の方がたくさんのペットボトルでいただきに来ていました。

しかしながら、商売っ気はないみたいです。社務所はピンポン式ですが不在?でした。土日のみなのかも。色々な神社さんのスタンスが見れてこれもまた興味深いです。

そしてまたバス停迷いました…通りの名前で方向を見ればよかったかもですが、疲れが出てきてますな。

やっと決めたバスが東天王を通るとわかり、もういっちょ頑張りますかということで、下車。
GPSを見ているので方向の違いの修正はできるものの、神社の裏を通る大回りをしてやっと到着。かなり疲れております。





『東天王岡崎神社』

もとは疫病退散の牛頭天王を祀る。位置的に平安京の卯の地点にあるため、最近はうさぎ神社として有名。

元うさぎ飼いのため、うさぎネタは押さえておきたいと思い組み込んでいます^^
駒うさぎはかわいいですねー間違いなし。

修学旅行の班行動の子たちもいます。
御朱印は待ちが長くなるので、時間的にあきらめました。




京都に向かうバスは満員。平安神宮を見て、下っていきます。渋滞で20分くらい遅れましたね…

やはり1時間-50分前に京都駅着く計画にして行動しておいてよかった。

なかなかハードな行程でしたが、大体行けたかな。




上賀茂の摂社を2社カットしているので、またぜひ上賀茂にはいきたいです。
縄文の信仰の濃度が濃いゾーンだと思います^^




1日目も観光になったおかげで、坐摩神社までも行けましたし。
イカスリの名はホツマによると、ニニキネ様の部下であるクシヒコ=大国主(恵比須様)が土竜に憑依された兄弟を配下にして、お宮の床土を清浄にし、柱を守ることに励ませたお話が由来だそうです。
色々な神社や神様がストンと落ちてくるお話で繋がってくるので、本当にホツマツタエは面白いです。まだまだ勉強中ですが。




また、旅行後に葵祭(賀茂祭)の教養番組を観て気づいたのですが、
葵祭の行列は朝廷の代表の斎王(今は一般から毎年選出される斎王代)が、京都御所→下鴨→上賀茂に上がっていく行事ですね。
ということは、朝廷が平安京を造るはるか前から京都を開拓していた、賀茂氏への挨拶を献上しているともとれるんですよね。
もちろんホツマによると、上賀茂の祭神は縄文時代に日本の国家の基礎を造ったアマカミのニニキネ様。
大先輩に挨拶をしないわけにはいかないわけだよなあ。と腑に落ちますね。

番組内で下鴨神社の神官さんが、紀元前から神社があることに言及されていて、
でも漢字伝来まで文字はなかったとも言っていたので、まあ表向きにはそういうことになるよなあと。
一方上賀茂の神官さんからは由緒関連についてのコメントがなかったのも意味深です。




平安京は中国式結界を張って作られていますが、一体朝廷は何の力をそんなに恐れたのでしょう。
さらに岩倉神社などの4か所に、力を封じるための?お経を埋めたとも。
北岩倉:山住神社(旧岩座神社)
西岩倉:金蔵寺
東岩倉:東岩倉山 (観勝寺) ※現存せず。現在は日向大神宮向かいの京都市営霊園
南岩倉:明王院不動寺(北向不動) ※南岩倉は結界の大きさを勘案すると、城南宮とも考えられるそうです。
それまで京都に張り巡らされていた、縄文時代からのパワーを封じた可能性もありますね。


鬼門にあたる比叡山には延暦寺ができるまでは縄文系の方々が暮らしていて、
延暦寺ができてからは八瀬に下って暮らし、しかしながら皇室の葬儀の輿舁きや警護の役という重要な役割を持ち『八瀬童子』と呼ばれたとのこと。
※八瀬は玉依姫様が隠れて暮らしていたこともあるそうで、下鴨神社の奥宮の『御蔭神社』があります。


周到に結界を張った割に、平安時代は疫病続きだったとは皮肉なものです。
京都の本当の古代史、ひいては日本の本当の古代史が明らかになる日が来るといいなと思いつつ。




お疲れさまでした。読んでくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございます。

不定期になると思いますが、神社などの感想を、勉強中の情報と併せて更新していきたいなと思います。



上賀茂神社境内のミニ賀茂川デルタです^^



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プロフィール

HN:
茶人(別HN:さいおん南)
性別:
女性
自己紹介:
2019年までは普通のアニメ映画好き。この数年で一気に裏情報を知った者です。一応歴史を専攻していましたがそれまではそこそこ。裏古代史を知って俄然やる気が出てきて、人生史上一番本を読んでます

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