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お茶のこ彩々別館・古代史・神社のお話

日本の裏古代史(主に縄文~古墳時代。上古代の重要文献『ホツマツタヱ』)勉強中の一般人が、勉強で感じたことや神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います

2021-2022年末年始・神社参拝記

昨年末に開始したこちらのブログですが、本年も神社や遺跡に足を運んで、自分なりに掘り下げていきたいなと思います。


年末年始に参拝した7社について書いてみます。



大宮氷川神社


フィギュアスケートの全日本選手権の観戦でさいたまスーパーアリーナに行く前に、隣駅の大宮の氷川神社に参拝しました。
15年くらいアリーナには定期的に行っていましたが、今まで存在を知りませんでした。
武蔵の国の一宮であり、まさに大宮という地名の元ネタ。関東地方に普及している氷川神社の総本社。
視点が増えることによって、今まで見えていなかったものが見えてきた一例ですね。

主祭神はスサノオノミコト様(アマテル様の弟というのは、ホツマも記紀も一致していますね)奥様の稲田姫様、ご子息のオオナムチ様もいます。
下鴨神社で知った干支担当の神様が興味深かったため、寅年のご担当に初詣をするといいかもと思い、オオナムチ様(初代オオモノヌシ・物部氏の先祖といわれる)が祀られている神社を調べて氷川神社に行き着いたという経緯です。

2キロにわたる日本一長い参道を誇ります。行きは大宮からなので途中の二の鳥居から参道に入ります。前情報通り大変立派です。





大宮氷川に行ったときはカメラのレンズが汚れているのに気づかず、フォーカスかかってるみたいになっておりますがご了承ください。
三の鳥居に入る前に、明治天皇が真っ先に行幸をしたという絵巻がパネル化してあります。裏情報的には明治維新も大変きな臭いですよね。
国家神道による日本乗っ取り政策を軌道に乗せるため、抑えておくポイントとして重視したのかもしれません。

松尾神社などを横に見て、池にかかる橋を渡ります。
スサノオ様達にご挨拶をして、右に門客人神社があります。こちらは誰?と思ったのであとから調べたところ、稲田姫様のお父様とお母様だそうです^^お父様は九州出身とのことですね。







手水のうしろに取り放題のご神水が^^太っ腹というか基本お志が普通ですかね。ペットボトルで売っている下鴨が商魂たくましいのか。

左側の蛇池も要チェックだと思い、向かいます。きれいな小川の先には、水源の池とその前に祠が。






きっと縄文時代から大切にされているスポットで、大宮氷川の信仰の中心なのだと思います。

かわいらしい稲荷神社も。建物奥にお狐様がいるのは珍しいのでは。






右脇にちょこんと小さいお稲荷さんも。





そして本殿前の大きな池に向かって宗像神社があります。



帰りは参道わきのお団子屋さんなどに寄ります。二の鳥居を下ると、しばらく車も通れるけど整備された参道を経て、また歩行者専用になります。
おしゃれなカフェがたくさんあります。またの機会に行ってみたい。




一の鳥居をくぐり陸橋を渡ると、まもなくスーパーアリーナ裏になります。大宮やさいたま新都心が氷川神社中心に作られた街だということがわかります。

現在推させていただいている宇野選手もなかなかいい出来でよかったです^^

令和四年明けまして、初詣になります。この何年かは初詣を家と知人、2日に分けて行っています。





【初詣その1】



小野神社(多摩市)



こちらも武蔵国一之宮。なぜ一の宮が2つあるかということについては、もとは小野神社が一の宮で大宮氷川は三の宮でしたが、規模などを重視して後年大宮氷川が一の宮を名乗ってもいいことになったという感じのようです。
とはいえ、武蔵国六社を併せて祀る総社の大國魂神社では、小野一・氷川三で設定しているそうですね。
ホツマツタエの前半完成のころ(紀元前530年)創建ともいわれます。ワカ姫様(アマテル様の姉君)とオモイカネ様の息子といわれる天下春命様(アメノシタハル)瀬織津姫様が主祭神です。
アメノシタハル様の9世孫の惠多毛比命様(兄武日命)はBC500年ころに武蔵の国を開拓したと言われ、小野氏の祖先だそうです。



ちなみにホツマでわたしが読了している範囲では、それより前のBC1000年ごろオオヤマスミ家(アマカミの后を輩出している古代貴族)が小野(神奈川県厚木市)に新田を拓き、3代目アマカミ・ニニキネ様の兄:ホノアカリ様の重臣マウラ様(ニニキネ様の后・コノハナサクヤ姫様の父でもある)が家督を継ぎ、『橘の君』と呼ばれる大豪族になったと書かれています。これも『小野』神社の由来になりそうですね。
そういえば多摩地域に住んでいた時、ちょっとおハイソなご近所さんの苗字に「小野」がついていたことを思い出しました。
聖蹟桜ヶ丘駅から多摩川までは抜けないように、左へ向かいます。境外の参道はとてもきれいに整備されています。もとは神社の土地だったんでしょうか。




常に社務所が開いているわけではないそうですが、お正月なのでそこそこ参拝客がいます。仮設授与所が設置されていました。




境内はとても広々としています。


アメノシタハル様にご挨拶、稲荷社にもお参りします。摂社の合祀社に行くのが漏れてしまいました…またの機会ですかね。
方便神社もあるそうで、珍しいかと^^鹽土〈塩土〉老翁命・ホツマにも登場する九州・海関連の神様です。ニニキネ様を筑紫(九州)に案内して、不仲となっている兄サクラギ様との和解をプロデュースしたそうです。鯛が人間に仕えたいと思っているというファンタジーな演出を加えたそうで、これを指して「方便」というのかも。
関戸橋から多摩川を渡ります





お正月らしく凧あげの親子、鷺がたくさんいます。


小野宮神社(府中市)

小野神社は多摩川をはさんで2つあり、祭神も同じです。こちらの府中の「小野宮」神社のほうが、もとからある小野神社ともいわれています。
多摩川の氾濫により小野宮の住人が多摩市に移動。そこで小野神社を作りましたが、小野宮のほうにもある程度人が戻り、再建されたためと言われます。治水祈願であえて両岸に作った説もあるそうですが。
中河原駅を過ぎ、愛宕神社の小さな看板を左手に行くと、愛宕神社の先に小野宮公園があります。かつての小野宮神社の範囲も広かったのでしょうか。




公園の左から回り込むようにしていくと、小野神社の目印が。もっとわかりにくいかと身構えていましたが、意外とわかりやすくて助かります^^




社務所なしのこじんまりとした神社ですが、きれいに整備されています。もちろん稲荷もあります。

御朱印は谷保天満宮で授与しているとのことで、近々行けるといいなと。

秋葉山様
がいらっしゃいました。




一説にはスサノオ様の父の可能性もある!?火の神カグツチ様
を祀っております。(参考にしているNavi彦様ブログより)
石の祠がさりげなく存在感がありますね。


鎌倉街道を渡り、分倍河原古戦場から緑道を歩きます。





田畑も見られ、サイクリングロードが整備されています。
府中本町駅を目指していたものの、初めて通る道ですので少し外れて南から線路下を通って回り込む形になりました。
府中競馬場観客向けの高架連絡通路が、大々的に張り巡らされています。大國魂神社から競馬場あたりは縄文晩期まで遺跡がある注目スポットだそうですが、今や私利私欲渦巻く空間になってるんですねえ…。あえての立地なのか何なのか。
そして大國魂神社ですが、びっくりするほど混んでおりました。列の終わりがなかなか見えなく、明治神宮なみかそれ以上もしれない。




時間も夕方になってきたので参拝は今回はあきらめ、またの機会に。


【初詣その2】



浅草から銀座線を使っていける神社めぐりとなりました。
浅草寺のほうには行かず、隅田川沿いをしばらく歩きます。お寺が多いですね。


今戸神社

寅の代わりということで知人が希望した猫神社です。招き猫発祥の地とのこと。
ご祭神は応神天皇・イザナギ&イサナミ様・福禄寿様。創建は11世紀なのでなかなか由緒もあるようです^^




そんなに現れないそうですが、白猫様がちょうど本殿でくつろいでいました^^
最近はテレビにも出ているようです。





宮司の奥さまの趣味がよく反映された猫グッズと、ガーデン風の植物や椅子(でずにーのねずみさんモチーフ。猫的にはおいしいのかもしれない)がほほえましいです。

 


奥さま手描きイラストのポストカード500円もあったり。
神田神社(神田明神)

末広町で降りて少し歩いたところ、秋葉原に近いですね。カレー・ラーメン屋多いです。
740年創建、主祭神はオオナムチ様(スサノオ様のご子息)・スクナヒコナ様(渡来人といわれる医薬の神)・後年平将門も加わる。




地域の神社を集めている拠点になっていますね。稲荷も数社あり、出雲神社があるのはスサノオ系だからですね^^
摂社末社にお参りしたあと、お正月の人混みで疲れていそうな神馬の『あかりちゃん』を見て本殿のほうに行くと、こちらも断念する込み具合でした。
摂社をお参りしたので良しとします。籠祖神社をメインとする合祀社もありますね。





籠神社はアマテル様とトヨケ大神(アマテルの養育者)の御霊が天橋立から伊勢に遷されたことから元伊勢ともいいます。以前行ったときに御朱印をいただきました。

神田明神においては猿田彦様(ニニキネ様を案内する際に、三つの山を拓いて道を造った)と小野神社でも出てきた塩土翁様が祭神で、七つの神社を合祀しているとのこと。


 虎ノ門金刀比羅宮

虎ノ門駅を出てすぐ。虎がつくので候補に挙げてみました。以前付近に通勤していたことがあり、なんとなく知っていました。御朱印の料金は手書きながらもフリー制、初めてです。
ビルの狭間の一部に設けられたスペースに鎮座、究極にスタイリッシュな境内ながら、社殿はきちんと伝統的なのが好感度あり。




境内社に結神社(古事記に登場・オオナムチ様の奥様八上比売様にまつわるとも)、裏に寄進されたと思われる灯篭あり。場所柄、会社員の参拝者が多いようです。
虎型の石鹸を販売していました^^



江戸時代に四国から金毘羅を勧請して創建されたとのこと。ご祭神はオオモノヌシ。すなわち金比羅大神=クシミカタマ(5代目・大物主)
他でもないホツマツタエの前半を書いた方になりますね。プラス日本三大怨霊とされる崇徳天皇です。


神紋が漢字の金と、ヤツデの2種というのが特徴的。



ちなみに四国の金刀比羅宮総本社は、最近神社庁から独立したそうですね。とは言え国家神道非道の極みの靖国も所属していないとのことなので、一概に判断基準にはできないと思いますが。


赤坂氷川神社

創建は951年。八代将軍吉宗の時に浅野土佐守邸跡の現在地に移転。吉宗様も篤く崇拝されたとのこと。






手水に生け花があります(⁰▿⁰)初めて見ました。社務所前にも生け花。大イチョウの葉もきれいに落ちて掃除されています。





生垣もきれいに整備、植物を大切にしていますね。東にミニ小川があります。
祭神は氷川の基本、スサノオ様、稲田姫様、オオナムチ様です。
山車とお神輿も展示されています。






全9体ある江戸型山車人形の一部とのこと。21世紀に入ってから8体が修復、復活しているとのことです。江戸文化の見直し、復興はいいことですね。


そんな中ちょっとよくない情報ですが、赤坂氷川の土地に右巻きの女頭領の櫻〇さんが大きなコンクリ製の自宅を建てているという情報を見つけました…この方の父方は外国人である可能性が高いそうです。
摂社に勝海舟が名づけた四合稲荷があり、ちょっとひっかかってたんですけどね。そういや黒塗りの高級車が多いですもんねこの辺。
氷川も国家神道にしっかり利用されているということか…まあ背乗り売国奴たちをのらりくらりとかわして、事実を探っていければと思います。


この頃は神紋も注目してみているのですが、氷川系は基本神紋が三つ巴で、菊ではないですね。
三つ巴って勾玉の形ですよね…そして三位一体も表していそう(世界創造神:アメノミナカヌシ様・最初の人間:アメノミオヤノカミ様・原初の日本を立てた:クニトコタチ様)

Navi彦さんのホツマの解釈として、スサノオ様はアマテル様とは父違いの兄弟で、日本民族原初の嫡流「ト」の君の血を引くという説(クニトコタチの8人の皇子のリーダーが先祖)を提唱されていて、興味深いと思っていました。



伊勢にいたアマテル様が日いづる国の天子であり、出雲にいたスサノオ様は日いずむ国の天子という解釈もでき(出雲は「いづむ」(しずむ)から来ているというお話も)これからの時代、スサノオ系(オオモノヌシ系)が日本の新たな力になるのかもしれないなと考えてみたり。もちろん田〇施国家神道プロデュースではない形で。

そして境内社の九神社が、西日一直線の位置になっていました。日いずむ国の天子のパワーですかね^^





ちなみに九神社で合祀されている社のひとつの塞神社は、道祖神的な境界を守る神や子宝神ともされ、地方によっていろいろな解釈があるそうです。

山梨辺りでは縄文時代の代表的アイテム・石棒を祀るところもあって、おそらく起源は相当旧いようです。




吉宗様のパワーも日本のためにお借りしたいところ。徳川家の家紋が賀茂氏(ニニキネ様)を彷彿とさせる『葵』というのも気になるところではありますよね。



2021年紅白のマツケンサンバよかったですね°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°東京五輪でできなかったリベンジ?


以上、今までにないくらい沢山の神社に行った年末年始になったと思います。





ここまでお読みくださりありがとうございます^^


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プロフィール

HN:
茶人(別HN:さいおん南)
性別:
女性
自己紹介:
2019年までは普通のアニメ映画好き。この数年で一気に裏情報を知った者です。一応歴史を専攻していましたがそれまではそこそこ。裏古代史を知って俄然やる気が出てきて、人生史上一番本を読んでます

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