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お茶のこ彩々別館・古代史・神社のお話

日本の古代史(主に縄文~古墳時代。上古代の重要文献『ホツマツタヱ』)勉強中の一般人が、勉強で感じたことや神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います

特別展「大勾玉展-宝萊山古墳、東京都史跡指定70周年-」

大田区郷土博物館で2022年10月16日まで開催されている
勾玉展の講義を広聴させていただいた概要を書いておきます。


大田区で所有されている勾玉は15点。
そのルーツを探るために日本全体の勾玉の考古学成果をまとめ、
全国で発見されている25000点のうち、5パーセントに及ぶ1500点を今回展示
勾玉は「倭」の国=古代日本列島の象徴として中国に献上されていることが、
魏志倭人伝に書かれている。

勾玉研究の始まりは江戸時代の『好古家』たちによる。
勾玉の素材で最上とされるのは翡翠(勾玉専門に使われる・管玉にはしない)
その他はメノウ(古墳時代まではさほど使われていない)
蛇紋岩・滑石は柔らかく加工しやすい。
東京で出る勾玉は、基本ほかの地方で作られたものになる
(大抵石が採取される所の近くで作られるため)

形の種類
・定型勾玉
・獣型勾玉(縄文時代から・櫛形とも言われる)
・緒締型(縄文時代から・穴が中で交差している)
・鞆型(弥生)
・半玦型(ドーナツを半分に割った感じ・北陸)
・丁子型(頭に刻み・弥生・北部九州)

勾玉の出現は縄文時代・早期末-前期7,000年前に遡る。
最古のものは糸魚川市の大角地(おがくち)遺跡のもの。
そのシャープな印象の形から見ると、
勾玉の形は洞窟遺跡から出ている牙玉(オキゴンドウ等から作成)
から発案されていると思われる。

初期は加工しやすい滑石製のもので、数は少なく耳飾りなどの中に見られる。
4,500年前ごろもっと固い素材に穴をあける技術を編み出し、ヒスイ製のものが出てくる。
BC10世紀あたりから弥生時代の形に移行するが、勿論時期は一律ではない。
形の特徴は、穴をあける丸い部分と胴の間に段差がある・
管玉は真ん中が膨らんだ形だったが直線的になる、など。
丸い部分に溝が彫ってある丁字頭勾玉は弥生時代・北部九州の形式。
また、中原遺跡のように縄文と弥生のスタイルが併存して出土したりもする。
玉作遺跡は北陸地方中心。
ガラス製の勾玉が出現。ガラスの素材は再利用し、鋳型に流し込んで作った。

古墳時代前半は3-5世紀の期間。勾玉は倭王権の象徴であり、
北部九州でできたデザインを近畿王権が使い、地方に配布していた。
4世紀ごろにカラフルになってくる。碧玉(山陰のみ)・水晶・琥珀(関東や山陰)
中期になってくると、玉作の役割は島根に集約されてくる。
倭の五王の時代になると、数が膨大になってきて、滑石製も多くなる。
5世紀後半は、数重視で簡略化されてきて平べったいものが多くなってくる。

古墳時代後半は6-7世紀。一番数が出回っている時期となり、
引き続き質より量の傾向、磨きが足りないものや折れている勾玉も散見される。
九州は翡翠製だが、それ以外の地域ではメノウ製が多い。
管玉も金属製のものになってくる。また、中央政権の地域では減少してくる。
8世紀の末期古墳時代の岩手藤沢蝦夷森蝦夷の墓は、
60点もの勾玉(人の手を長い間経てきたものも)を副葬。倭人へのあこがれがあったのかも。

律令制が始まるとともに、勾玉の使用は終焉を迎える
過去に作成したものを建物の基礎に埋めるなどはしている。
中世に再登場しているケースも。沖縄や石上神宮のガラス製のものや、松代町の石占いなど。

以上の研究成果から、大田区出土の勾玉のルーツをまとめる。
・馬込:縄文後・晩期
・光明寺:近隣で土製の勾玉を作ったもの
・宝來山:弥生時代・北陸東部製
・多摩川台2号:近隣
・多摩川台5号:山陰系

以下は今回の勾玉展を観て、わたしが古代史について考察した内容を書いておきます。

壬申の乱後「日本」の国号が使われるようになる前は、
「倭」の国だったのがどういう意味なのか、
日本人はもっと深く考えた方が良いと思う今日この頃です。
そこで決定的な国体の変化があったんですよね。次の大きな変化は明治でしょうか。
その中でも、天皇制は現在まで残り続けている。
そして「勾玉」が含まれる三種の神器も、「倭」の時代から存在し続けているんですね。

壬申の乱に先立つ丁未(ていび)の乱で滅ぼされた倭の文明の担い手、
物部氏の歴史書・「ホツマツタエ』では
三種の神器は剣・鏡、そして3つ目は「玉」ではなく「トのヲシテ」(天皇の帝王学の秘伝書)
とされるのが、とても象徴的だと思うんですよね。

厳格な秘伝書を引き継ぎ、天皇たるものいかにあるべきか、
精神性の高さを重視していたことがわかります。
それがいつしか物質の「玉」になってしまい、形骸化しているわけですよね。
とは言えこの見方は現代的で、成立の順番は文字を必要としない
精神文明を象徴する玉が先ですよね。
時代を経て、精神世界を文献にまとめるようになったが
物部が倒された後はその内容を引き継がず、
精神性を込めていない玉へ変わったのが問題だと言うことです。

勾玉の作りが時代を経るごとに質より量になってしまったのも、
精神文明から物質文明に移り変わっていったことを示すのかもしれません。

古墳時代ごろには米の生産量が上がりましたが、
為政者が余剰の富を次世代まで持ちこさないために
大規模古墳事業が行われたという見解を最近知りました。とても興味深いです。
古墳時代は、私たちの精神文明の故郷・倭国が
物質文明に抗った最後の時代と言うことなんでしょうね。
一部の有力者だけに富を独り占めさせない価値観があったということが、とても重要です。
現代の世界の富裕層が失っている倫理観だと思います。

こういう視点から見てみると、倭の国の人々の精神性の高さがうかがえます。
現代は、日本人が1,500年前に封印された「倭」の心を取り戻すことが
求められている時代なのではないでしょうか。




博物館の近くに鎮座する湯殿神社です。
古代の精神世界の象徴・勾玉にスポットを当てた展示会で、
古代史を勾玉の視点から考察するきっかけとなり良かったと思います。
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プロフィール

HN:
茶人(別HN:さいおん南)
性別:
女性
自己紹介:
2019年までは普通のアニメ映画好き。この4年で一気に裏情報を知った者です。一応歴史を専攻していましたがそれまではそこそこ。日本古代の「偽書」の世界を知って俄然やる気が出てきて、人生史上一番本を読んでます。アジアや世界全体の古代と、日本古代の関係を包括的に見て行きたいと思っています

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