今年は武蔵国六宮のうち、未参拝の神社を優先的に回って行きたいと考えています(一宮と三宮は参拝済みです)
三社目はあきる野市・
二宮神社(小河大明神)になりました。

境内はきれいに整備され、落ち着いた空間になっています。日曜のためか境内で骨董市が催されていました。地域の交流の場にもなっているようです^^
それを加味してもなんだか格式を感じます。
御朱印は書置きをいただけました。上賀茂を彷彿とさせるような達筆の美しい字でした。
御祭神はクニトコタチ様(国常立尊)ホツマ宇宙創始の天元神(アモト)のひとり、日本を創始した神様です(クニトコタチは役職名、複数世代をまとめて表現しているとも)
この方から七代目のイザナギ・イサナミにつながります。クニトコタチ様がメインというのも珍しいですよね。
またアラハバキ神社・諏訪神社・稲荷神社・合祀社と、本殿以外の境内社はすべて同じ方角に建てられているのが目を引きます。

アラハバキ神社は変わっていますね。
『ホツマ』をベースに研究されているNAVI彦さんによると、アラハバキは坐摩神社(大阪)に祀られるニニキネの臣下となった土竜の兄弟、アスワ・ヒビキからきているという説を仰っていて、これも面白いですね。
土竜兄弟はニハリの宮(つくば)あたりにいたそうです。東京ならむしろ大阪より近いし、格の高いこちらの神社に祀られているのも納得。
『古事記』でアラハバキ神として祀られる櫛石窓神、豊石窓神も同じくニニギノミコトの臣で、天石門別神と同一とのこと。
社務所の奥に立派な二宮考古館がありまして、これは必見です。無料で入館できます。ここまで神社に隣接している考古館は意外と少ないのでは。
市内に120箇所あまりもある遺跡の分布図が圧巻。縄文から弥生・古墳・平安・中世とほぼ全時代にわたる展示品があります。
なかでも縄文遺物の率は高いです。黒曜石の石鏃等(加工方法の写真もあり)きれいに残っている蛇頭把手の土器、中期の人形型土偶も。
縄文時代の甕型土器の「水銀朱が検出されているので墓抗に使用したとみられる」という趣旨のキャプションに注目。
水銀朱=丹生(赤色顔料・防腐剤)は関東でも採取できたそうですが(東京や埼玉に丹生の原料・辰砂鉱山あり。奥多摩の鋸山のあたりに丹生神社も存在しています)
丹生は徳島の加茂宮ノ前遺跡が特産地だったそうなので、交易をしていた可能性がありますね。産地は詳しく調べればわかるのかな?
また二宮は秋川の下流域ですが、秋川渓谷の上流のほうに 加茂原(かもっぱら)という場所があり、縄文集落跡もあるのですね。丹生特産地と同じ「加茂」ということもあり非常に気になる。
※そして加茂といえば三代目日嗣の君・ニニキネ様(上賀茂神社御祭神)ゆかりの名前。またの機会に加茂原も行ってみたいです。加茂遺跡の人がこの地に移住して、丹生生産技術が伝播した可能性もありますね。
正門から道路を挟んで「
御池」があります。どんな干ばつのときも枯れることがないという。全時代を通して人を引き付けるスポットになっている理由のひとつでしょうね。湧き水なのでとてもキレイです。

池のほとりに社宮社・イシコリドメ様(石凝姥命・神器八咫鏡の製作者)も祀られています。
イシコリドメ様の子孫はホツマにも登場、弥生時代に銅鏡を作っています。因みに縄文時代の鏡は黒曜石製だったとも言われますね。「イシ」という名前からも読み取れるようです。
石の加工をしていたけど子孫は銅鏡を作っているというのは、石器という素材のカテゴリより、鏡という製品のカテゴリを受け継いでいるということになりますかね。
呪術的な意味合いなのか、素材が変わっても製品を作り続ける役割が重視されたのかもしれません。
そういえば、アラハバキ神の別名と名前が石つながりですよね。関係あるのかな。
そしてそこからすてきな水路を通って行きます。この水路も上賀茂を思い出します。地域の方が長靴で水路に入り、脇に花を植えてくれています。
前田公園の奥に、縄文の敷石住居跡と弥生の竪穴住居の柱跡がさりげなく復元されています。標示板がかなり傷んでいるのでこれは修復してほしいですね…
二宮城のお堀になっていたともいわれる水路沿いを行き、水路の源流の
八雲神社へ。社殿はコンクリですが、こちらにもとてもきれいな御池があります。湧き水の町ですね^^

秋川のほうに下り、氷川神社へ。鈴が銅鑼なのが特徴的。しかし川まで降りると休憩場がなさそうなのでまた台地のほうに上がります。
同行者が石棒が出土した大六天遺跡に関心を持っているので(大六天が信長関連だからとのこと)目印となっている祠を探して、せせらぎ通りを歩きます。川は見えませんが…道中いくつか個人的な稲荷などの祠があります。
大六天の祠はかなり特徴的に整備されていました。
石棒ドーン!(右)です^^
縄文の信仰が見事、現代に復活されています。お地蔵さまが左隣にあります。
付近に立派な井戸を持つお宅があり、こちらの方が管理されているのかな。湧き水を縄文の人も利用していたのでしょうね。
休憩を経て今度こそ、秋川へ降ります。季節的に水量少な目で、河原はススキの枯れ野原になっておりました。いまいち景勝地とは言えないですね…
対岸へ行き、雨武主神社(あめむしゅ)へ。御祭神はアメノミオヤノカミ様。天元神のひとり、こちらは宇宙創造主の神様です。
明神山の頂上にあり、二百段ある石段のうちの大部分が一直線につながる景色が圧倒的です。横に女坂もあります。

頂上は本殿、舞殿、境内社がこじんまりとあります。社殿は中国の故事をモチーフにしたものになっています。まあ独特ですかね。
樹木もそこそこ生えているのでそんなに大きく開けていないものの、木の間から奥多摩のほう?が見渡せて不思議な空間になっています。
もとは麓に鎮座しており、明治に山頂に移されたとのこと。これも注目ポイントですね。
山をご神体として崇拝するカンナビ(神奈備)信仰をほうふつとさせる形式をとっていたということが読み取れるわけです。それを国家神道様式に変更されたと。
※正式なカンナビ信仰は拝殿のみであり、雨武主神社には創建と言われる室町期から社殿があるようですが、麓にあったというのが重要ではないかと。
なかなか急な勾配で、下りに利用した女坂は足がすくみました。階段を往復しているご近所の方がいらっしゃって、これは鍛えられるなあと。
下のアングルから写したら、境内から光が漏れていました。なかなか神秘的な一枚が撮れました°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
ところで雨武主神社の神様は、2駅ほど離れた貴志嶋神社の神様と友達で、貴志嶋神社へ遊びに行く民話があるそうです^^貴志嶋神社は縄文神社として紹介されているところで、そこと並立しているということは、雨武主もかなり旧いのかもですね(創建は室町というものの)
スポーツ公園を下に見て住宅街を進み、秋川のインター下の橋をわたります。
右の山が雨武主神社のある天神山です。
街道沿いの秋川天神社に寄ります。ご神木が立派ですね。
できれば周っていきたいと思っていた、
雨間(あめま)石器時代住居跡にもうひと踏ん張りしていきます。水路から坂を上がったところ、フェンス越しに敷石住居跡がそのままの形で保存されています。

秋川を挟んで北と南は、同じ雨間や牛沼という地名なんですよね。昔は秋川の流路がもっと雨武主神社近くにあったのかもしれません。また雨間北側には、謎の多い大塚山古墳もあるそうです。
そして雨武主神社のカンナビ信仰の形跡を示していると思われるのが、秋川を挟んで北の対岸にある「鳥居場」です。鳥居が建てられたのは1832年だそうですが、以前から何かしらはあったのではないかと。
小学校横の崖の上(小学校からは行けないっぽい?)にあります。
崖の上から回り込んで向かう途中、崖下から竹林が伸びていて、風に吹かれると涼やかな音が。不思議な情緒を醸しています。
手前の石の柱には「御大典記念」(国家神道時期の天皇即位の呼び方)とあり、幟を立てるためのもののようですね。
そして社殿・拝殿はなく、奥にある
直接天神山を臨む遥拝所のみとなっているところが要チェックポイントです。
遥拝所から見える天神山はこんな感じとなっております。
敷石住居に暮らした人たちが天神山に向かって祈っていたという、遥かなる信仰が受け継がれているのかもしれませんね。
二宮神社と並んでレア目な天元神中心に祀っているのも、この二社は関係があるのかもしれません。
滝山街道横の裏道を通り、秋川駅に向かい終了。2万歩位の行程となりました。
今回は御朱印がある神社は二宮神社のみとなり、散歩コースとして景色が地味めな感じにはなりましたが、それでも結構見どころがあると思いました。
古代に着目すると、たいていの地域に面白い発見がありますね。
そしてまたの機会に行ってみたいスポットが
阿伎留神社です。こちらも名前が「あきる」ですし、何かありそうだと思っていましたが^^
神代文字のひとつで、各地の神社で奉納されるという「
アヒルクサ文字」の版木があることでも注目されている神社ときいて、興味津々です!
ここまでお付き合いいただいた方はありがとうございます。
最後に八雲神社へ行く間の水路を。地元の方がお花の整備をされていました。
古代から続く水の風景は、形を変えていても
今以って地元の方の地道な活動で守られているのですね^^感謝。