香取神宮は勿論要チェックの神社のひとつでしたので、
同地域で開催の佐原あやめ祭りと一緒に参拝することになりました。
臨時特急のあやめ祭り号という列車があることを知り、
利用することになりました。
総武線から京成線へ接続する珍しい特急のルートを楽しむことができました。
千葉あたりまでは結構町で、佐倉あたりから景色が牧歌的になってきますね。
田んぼと蓮根畑が多かったですね。サギがたくさんいました。

駅では観光課の方がお出迎えしてくれると事前にチェックした情報で
知っていましたが、チーバ君もいました^^
佐原あやめパーク
佐原駅から臨時シャトルバスで25分、8キロ余りあります。
広さは程よい感じで、1時間くらいで周ることができると思います。
あやめ祭りの会期末だったので、もう終わりかけかなと思っていたんですが
今年はまだ見ごろでした^^5月の芝桜のリベンジができたかも。
笹の葉の形から『サッパ船』と言われる手漕ぎの船で園内の池を一周できます。
漕ぎ手の方のガイドもあります^^
サッパ船は利根川に出る十二橋めぐりもありますが、軽く体験するには
園内のものでも十分だと思います。
『
長井古種』は現在の花菖蒲の元の品種とのこと。
江戸に持ち込まれ、園芸品種として改良される前の
東北地方原産・ノハナショウブの色変わり種だそうです。
東北の人はもしかすると縄文時代くらいから、あやめを愛でたのかもしれませんね。
水郷佐原
水運で栄えた利根川の支流・小野川沿いに、江戸時代の建物を多く残しています。
柵の前に天神の牛や、七福神のミニ像が設置されているのが面白いですね。
しかし飲食店が要予約や、コースの店が多いのが謎のハードルの高さになっています。
普通のところもありますが。
伊能忠敬のお婿入りした商家が無料で見学できます。
橋の上にベンチが設置されているところもあり、じっくり雰囲気を楽しめますね。
香取神宮
休日のため循環バスはかなり遅延していて、20分くらい遅れての到着。
下総国一宮です。構内から縄文遺物も出ています。
入口の歓迎の看板がローカル観光感があってなごみます。
参道の商店会を通って鳥居をくぐります。
4-50分くらいしか時間がありませんでしたので、本殿は勿論ですが
あとは宝物館、奥宮と要石に絞りました。
季節柄、本殿の前に茅の輪がありました。
香取神は
フツヌシ様。ホツマでは明確に右大臣=
鏡の臣と定義されています。
というだけあって、本殿にもとても大きな鏡が掲げられています。
そして宝物殿。昭和40年代建設なだけあってレトロな雰囲気。
例の岸氏の肝いりだそうです。
昭和19年に米軍によって沈没した、巡洋艦香取の割れた菊のご紋があります。
岸やあべのラインは大日本帝国を復活させることをもくろんでいるんですよね。
岸は満州のトップでA級戦犯だったものを免れ、わずか8年で首相に上り詰めた
という異様な経歴だったんですね…最近本で知りました。
そして締結した新安保も人に交渉をさせて手柄を横取り、その新安保の内容も密約
だらけでどんどんアメリカ軍の権利だけを広げていく改悪に過ぎなかったと。
日本の売国政策を決めているという、日米合同委員会もここからなんですね。
盗人猛々しいにもほどがある。
そしてじみんは戦争をしたがる本性を最近隠さなくなってきましたね。
戦争はビジネスであり、一部富裕層が儲け、
犠牲になるのはいつも庶民。アメリカの武器商人との癒着もすごいですよね。
恐らく戦後の練習艦のほうの香取が集めた、南米やポリネシアのコレクションはいいかな。
2階に重文の鏡がいくつも展示されています。国宝はレプリカでした。
岸奉納の太刀もあったり、徳川奉納分もありますね。
そして古代鉄製の楯二面が、不思議と存在感を醸し出していました。
豪華な細工はないんですけどね。
そして本殿を降りて旧参道の方に向かいます。
酒屋や宿が脇にあり、旧参道の面影を残しています。
少し行くと、
奥宮入口があります。
フツヌシの荒魂をお祀りしています。
ちょうど人が少ないタイミングでお参りできて
いい雰囲気でした。こちらにも茅の輪があります。
また、授与所も設けられています。
要石は、奥宮より少し本殿側に入り口があります。
少しだけ頭が見える『要石』の向かいに、
押手神社があります。
ご祭神はウカノミタマノカミ。

『オシテ』といえばホツマツタエを代表とする『ヲシテ文字』を
連想せずにはいられませんね。
ヲシテは機密事項を書くための文字で、封印として古代のハンコ=押手を押した
といわれていますね。
香取神宮と下賀茂神社にしかない神社だそうです。
オシテは渡来人『天つ神』と在来の『国つ神』の契約の象徴であり、
ウカノミタマノカミは『天つ神』秦氏とのつながりのためとも分析されています。
※ただし秦氏は、縄文人の流れをくむ秦の始皇帝・
嬴政 (えいせい)による王朝の末裔とも言われますΣ(・ω・ノ)ノ!
秦朝の滅亡時、秦王族の亡命を同族である徐福が手引きしたとも。
言われてみれば、秦朝と秦氏って字同じじゃないですか!!
香取と鹿島の要石で、『国つ神』を押さえているため香取の要石の前に
押手神社があるという解釈もあります。
(でもこれだと鹿島には押手いらんのかい、ということに。)
もちろん要石の本来の目的も不明なので(いつからあるのかも)何とも言えない
説ですが、ひとつの説として参考にはなりますね。
摂社の『側高神社』ほうが古く、秘密の祭神もありそちらが国つ神に当たるのでは、
という見方も。
時間がなく、馬場のほうやもう一つの璽神社(オシデ)に行けなかったのは残念でしたが
またの機会に。
最後は参道のウノカフェで一休み。
フィギュアスケートの宇野選手推しのため、入ってみました。
思った以上におしゃれな、ヨーロッパナチュラル系のインテリアでした。
メニューも豊富でお団子もおいしい。おすすめです。
普段のスーパー売りのお団子とは全く別物です。
食感も柔らかいし、ちゃんとお米の香りがしますね。
帰りは高速バスに乗るので、入っておいてよかったです。
利根川の彼方に夕焼けを見ながら、帰路へ。
今回はそこまで神社や遺跡にポイントを絞った行程ではありませんでしたが、
季節の花と、香取神宮のふもとであるからこそ発展してきた佐原の町を
体験できてよかったと思います。