7月アイスショーで東伏見アイスアリーナに行く機会に、
1時間半ほどみて武蔵関の神社と
東伏見エリアの遺跡公園を巡ることにしました。
天候はかなりの雨。晴れると確実に
暑い季節なので悩ましいところですね。
天祖若宮八幡宮
武蔵関から商店街を抜け、武蔵関公園へ通じる道から
すこしずれたところに立地。
道幅は狭めですが、参道がきちんと残っています。
境内前に参道を横切る道路あり。
社殿は赤い屋根で統一されています。御嶽神社もあり。
林の側にもれなくロープが張ってあり、
スズメバチがいるので立ち入り禁止とのこと。
今のところ行った中ではここまで厳重なのは初めてですが、
自然が多いということでしょうかね。
社家では大祓の人型回収はしていたようですが、
御朱印をやっていると書いていなかったので
(田無神社が兼務社)特に訪ねず。
少し高台になっている天祖神社から閑静な住宅街を下ると
武蔵関公園に出ますが、天候が悪すぎましたね…
池のそばの通路は降雨時危険らしいです。
確かに柵がちょっと貧相で、滑るとそのまま落ちそうな感じに見えます。
この日は誰も来ないであろうボートの管理員の方が一応待機しています。
池の広さがわかっていなかったため行き過ぎ、
アイスアリーナそばに出てしまいました。

遺跡を見る時間はまだありそうなので、
今度は車道から周っていくことに。
昔から運動場があるエリアの、石神井川沿いを歩きます。
下野谷(しものや)遺跡公園
縄文遺跡の公園。川を臨む高台に芝生広場が整備されています。
スズメよりは少し大きめの鳥が異様にいました。
人が近づくときれいに去っていきます。
これがカラスだとよけないだろうしすごく威圧感あるだろうなと。
真新しい看板と休憩所があります(令和3年造成だったと思います)
面白いのは路面に東伏見地域の航空写真があり、
遺跡の位置を示している展示ですね。
写真には納めにくいですが、自分の足元に遺跡があり、
歩いて回れるという感覚が得られやすいかも。

発掘品は別途資料館で見てくださいとのこと。
この地域は以前の居住地に近いので、
こんなに立派な遺跡公園ができて感慨深いです^^
縄文時代の認知度が上がっている一つの現れですね。
竪穴住居が復元されたりするともっと雰囲気出そうです。
旧石器の遺跡でもあるので注目です。
柳沢氷川神社
東伏見駅から徒歩1、2分の小ぢんまりとした神社です。
駅には本当に昔から何度も来ているのですが、
視点が変わらないと神社の存在には気づかないものですね。
両部鳥居があり、社殿や社務所は近年整備されているようです。
御朱印はありですが、社家に人がいる時のみとなっているようです
(見たところインクジェット?)ともあれまたの機会ですかね。

そして川の近くだから氷川神社というだけではなく、
なかなか興味深い由緒ですので紹介いたします。
もともとこの地には榛名神社があり、
国家神道によって他社への合祀を強制され、
反対運動むなしく氏神を奪われたとのこと。
その後昭和に入り、氏子がいない埼玉の氷川神社を譲り受け氏神としました。
昭和59年にようやく榛名神社を相殿とし、復活させたとのこと。
写真下の境内社が榛名神社になります。
石の建造物は江戸時代のもので、市の文化遺産です。
最初に行った天祖若宮八幡宮に合祀されていた竹下稲荷神社も、
近年元の土地に戻されているとのこと。
国家神道によって混乱させられた地域の信仰が、
近年復活してきているんですね。
この地域で目立つ神社は東伏見稲荷ですが、
昭和初期に新たに創建されたということで
国家神道の影響が強い神社と思われます。
というわけで今回はあえて外しています
(過去近所に住んでいたときは行ってますけどね)
下野谷遺跡といい、無意識にせよ、
日本が本来の歴史と信仰を取り戻そうとしている
時代の変化の一端を見ることができるかもしれないと思いました。
こういった流れをいい方向に向けることに、
協力していきたいものです。
榛名神社は群馬高崎にあり、江戸時代の榛名講で篤く信仰された神社ですが、
起源はホツマツタエによると、縄文時代のハタレの乱の
反乱軍のリーダーの一人、『ハルナハハミチ』の拠点だったとも言われますね。
流石ホツマの記述は格が違うなあ。
10年ぶり以上?くらいの東伏見アイスアリーナは
なかなかの寒さでした。
しかも散歩で結構濡れてしまったため
ちょっと風邪ひきかけましたが、
対策と休息で乗り切りました^^
ビタミンと葛根湯は強い。