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お茶のこ彩々別館・古代史・神社のお話

日本の裏古代史(主に縄文~古墳時代。上古代の重要文献『ホツマツタヱ』)勉強中の一般人が、勉強で感じたことや神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います

2023年11月:建部大社

11月のスケート観戦第2弾で滋賀に来た機会に
優先して近江国一宮へ今回行っておこうと思いました。
観戦のついでだとスケジュールの関係で
1か所くらいしか観光には行けないんですけど、
これは仕方ないですね。
正直全部観戦すると観光は無理なくらい詰め詰めなんですけど、
適宜見る競技を調整しつつ。

バスは本数が多くないため、京阪電車から
日本三名橋の唐橋を渡っていくルートで。
確かに少し太鼓型に膨らんで趣ありつつも、車もバンバン通る立派な橋です。
朝は風が強く、2年前に上賀茂神社に行った際に
鴨川を渡った時を思い出します^^

幹線道路沿いに鎮座=古代からの交通の要衝であることがわかります。
もとは琵琶湖沿いのもっと彦根方向の東近江市にあって、
675年天武天皇により遷座をしているようですけどね。

一の鳥居の中に入ると出店がずらりと。
何のお祭りかと思うと七五三でした。
二の鳥居内でミニ歌唱ライブが開催。
結構オープンな神社のようです。



動画でよく採りあげられていた
ヤマトタケル物語の美麗絵を見ながら境内に入ると、
七五三用の撮影スペースが設けられています。
そんなに広いわけではないですがよく整備されています。
花手水もきれいです。


主祭神ヤマトタケル様関連の神様がずらりと祀られています。
今まで行った中で一番主祭神関連の
境内社がまとまっている神社かなという印象です。
境内社の数が多い神社はいくつも参拝しましたが。

「ホツマツタヱ」でご活躍が詳しく書いてある
神様もいらっしゃるんですよね。
エミシ征伐できわめて論理的な交渉を行った
大伴連武日(タケヒ)様が末社「行事社」に祀られております。



エミシ側(地域の呼び名は当時ヒタカミ)の言い分は
イザナギ・イサナミ以前にさかのぼる
天神の先祖の出身地としての優位性を主張、
タケヒ様の返しはその子孫であるヤマト王権への敬意を
忘れているのではないか、というような展開で。
この東征のあとヒタカミ(日高見)からミチノク(陸奥)
という呼び名に変わったとのこと。

「行事社」のもう一柱の祭神・吉備臣武彦も東征に随行していまして、
吉備を携えたヤマトタケル
桃太郎のモデルと言われる所以かもしれませんね。

弓取神社」の祭神・弟彦公も吉備出身ということで、
弥生後期に吉備に際立って大きな墳丘が作られたことも
考古学的にヤマトタケルの時期の吉備勢の強さを裏付けていそうです。

蔵人頭神社」は七掬脛命を祀ります。
神武東征で活躍したクメ(大久米命) の七世孫で久米直の祖とのこと。

本殿にはヤマトタケル様と、オオナムチ様が並立しているのも特徴的。


ヤマトタケル様の前世と言われるスサノオ様の子にあたりますね。

少し奥に行く湧水の祠があります。毎度おなじみ聖地の王道ですね。
源頼朝がこの水で武運を回復したといわれます。


御朱印は基本300円でプラスアルファしてくれてもいいですよという仕様です。
バラつきなく書ける方が担当してくださっているのも◎。


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プロフィール

HN:
茶人(別HN:さいおん南)
性別:
女性
自己紹介:
2019年までは普通のアニメ映画好き。この数年で一気に裏情報を知った者です。一応歴史を専攻していましたがそれまではそこそこ。裏古代史を知って俄然やる気が出てきて、人生史上一番本を読んでます

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