本年も自分なりに古代への考察を深めていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
帝京大学の講座に参加いたしました。
キャンパスは高幡不動駅から2つの団地を経た台地上にあります。バス利用でないと無理かと。
講師の方のイメージ通り、聞きやすい講義でした。
広い教室で、後方向けのディスプレイが中間地点くらいにありました。
ちょうどその真下あたりにいたので前方ディスプレイを見てましたが、
文字がやや見えづらかったかも。
水中考古学の意義の紹介
・船の使用は農耕起源より古く、日本に人類が渡来した方法も船が多いと思われる
・一人では作れない当時の技術を結集した構造物であること
・水運は経済活動と文明の発展に大きく寄与していること
世界と日本の水中考古学遺跡の紹介。
・考古学者が自ら調査で潜るようになったのが1960年代のトルコ・
ケープゲラドニア沈没船(BC1200年の廃品回収の船)からだそうです。
・韓国の新安沈没船(1300年代鎌倉末期)日本に向かっていた元の船で高級品が多い
・一番有名なのはスウェーデンのヴァーサ号(1600年代)国家の威信をかけた戦艦だったが
造船監督病死のため王自ら指示したことから構造に欠陥があり、
わずか進水1300メートルで沈んだ伝説の船だそうです。
1960年代に引き揚げてから90年代に保存施設ができるまで劣化しないように
薬品をかけ続けたそう。
・日本の水中遺跡研究の始まりは諏訪の曽根湖底遺跡です。これは知っていました。
そして今回力を入れて紹介されたのが、松浦市の鷹島海底遺跡でした。
元寇の船が多く(3千隻のうち9割といわれる)沈んでいる遺跡です。
台風が来たため沈んだといわれていますが、
もっと細かく言うと台風接近中は南風になりその対応で錨をおろしていたところ、
台風が過ぎると北風になりその対応ができす逆向きに煽られて沈没したとのことです。
これは面白いですね。
船の構造は完全な形で残っている木材から割り出すことができます。
宋の船は底が▽型で隔壁がありますが韓国の船は箱型で梁を使う。
絵巻で有名な「てつはう」は、殺傷能力自体は弱いので心理的なダメージを与えるためと
考えられているそうです。意外ですね。
また、薪にも注目するとマツ材で長さがそろえてあり、
のろしで船団を導くことにも使ったと思われ、計画的に準備された軍だったことが伺えます。
海底調査で2005年ころから3隻ほど船体が発見されています。
保存のために埋め戻し、年2回状況確認しているとのこと。
・ほか五島列島の小値賀島(おぢかじま):16Cごろタイから輸入した
鉛のインゴッドを積んでいた
・磐梯山の堰止湖の檜原湖:1888年に埋まった村なので、
明治期の村の様子が保存されていると思われる。
周知のため水中ドローン体験会も行っている
まとめとしては、水中の遺跡は遺物の第一発見者になりやすい漁師の方にもっと認知を広げ、
報告してもらい発見につなげたいということですね。
講義を聞きに来ている方は日野市在住の方が多そうですし漁師ではないと思うんですが、
知り合いに広めて行くといいでしょうね。
ところで今回はほぼ船の遺物関連の話のみでしたけど
旧石器時代は100メートル海面が低かったわけですが、
そこに隠された遺跡については研究者さんの見解としてはどうなんでしょうね。
水深が深いのでまだあまり手が付けられていない所なのかなと思いますが。
ついでに博物館に行きましたが、総合というだけに
考古ゾーンはそれほどボリュームがありませんでした。
企画展のスペースがかなり広くこの時は書道展でした。
期間限定なのかもですが、奈良時代から平安時代初期にかけて
多摩丘陵に移住=「移配」させられたと言われるエミシの説明に力を入れていましたね。
しかし土器を見ると、普通に土師器っぽいスタイルです。
少なくともまったく縄文ではないですね。

一般に言われているほどエミシはそれ以外の本州人と違いはないのかもしれません。
つまりもののけ姫・アシタカの村の縄文ぽい土器は実際にはないということですね。
実際の文化の対立は「縄文VS弥生」ではなく、「古墳時代までの古神道VS飛鳥奈良以降の仏教」
と言う構図なのでは。
移配は725年から行われましたが、811年ころからあまり行われなくなり、
897年には全国に配されていたエミシはほとんど奥州に帰還したそうで。
展示は故郷から引き離された悲哀で終わっていますが、
数世代を経ているものの、戻ったことまで説明に書くべきでは。
あと最近の漫画とのコラボ紹介にもスペースをとっていたので、ちょっともったいないですね。
学生の興味はそっちのほうが強いんでしょうけども。
せっかくなので高幡不動にも行ってみました。

新撰組ゆかりの地と東京には少ない室町時代前期の現存建築の不動堂が見所。
不動だけに手水が豊富そうでした。湧き水なのでしょうか。