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お茶のこ彩々別館・古代史・神社のお話

日本の裏古代史(主に縄文~古墳時代。上古代の重要文献『ホツマツタヱ』)勉強中の一般人が、勉強で感じたことや神社を参拝した際の感想などを載せていこうと思います

2024年3月:公開講座「1万2千年前の巨石文化を掘る」

千葉工業大学に地球科学・自然科学的な分析で
考古学を扱う学科が設置されてから初めての一般向け講演会とのことです。
トルコでの発掘にたずさわったご本人の講演を聴けるのはいい機会ですね。

1万2000年前〜1万年前の約2000年間の遺跡「ギョベックリ・テペ
花崗岩の山地の頂上750メートルにある。
最大5.5メートルもの石柱を駆使した建物を建てた。床も石張り。
屋根は植物性で朽ちてしまったものと考えられる。

石柱には絵が刻まれている。モチーフは男性の姿や
危険なサソリや猛禽類などの動物などが多い。

山上と言ってもいいので冬は雪が降るほど寒く、水を得るのは難しい立地なので
集落ではなく祭祀遺構と思われていた。
最近水をためる8メートルの大きな穴が見つかっている。

大きな建物が4軒あり、周囲を囲む小さな建物で生活したと思われる
担い手は狩猟採集民・出土骨の50パーセント超がガゼル。後は牛やヒツジ・ヤギなど。

石柱には狩猟対象の動物は描かれていない。
食糧とした植物は野生の麦・豆もあるが、
ピスタチオ・アーモンドなどの堅果が90パーセント
農業・牧畜はしていない。

狩猟採集民の宗教儀礼センターとも言い切れないのが最近の見解で、
狩猟採集民の遺跡として学会の常識を覆す規模というところが最大のポイント
もっと小集団で細々と暮らしていたイメージが常識的だった。

大規模な石造遺構を建設・維持する集団をどう組織したのか?
最近は炉跡や住居の床下の土壙墓も発見されている。定住していたと思われる。

どのようにして起こったのか、発展なのか気候変動か
狩猟採集民だが格差社会があったのか?

ハラン平原を囲んだ石灰岩の山地にいくつもの遺跡があり、現在は10か所で発掘中。

近隣の小規模な遺跡「ハルベトスワン・テペシ」発掘調査の過程も紹介。
ギョベックリ・テペは長期間の遺跡で地震でのかく乱があり時代が分かりにくいので、
短期間だけの遺跡は参考になるとのこと。

3層になっており、一番下は円形の半地下住居。
2・3層は南北に方形の小部屋が2つある住居。上から出入りしていた。

黒曜石の石刃も少数ですが出土。
ヒスイの硬玉を使った管玉や石垂も200点近く出土。穴をあける石錐も
ヒスイ硬玉が採れる場所は日本以外あまりなくアジアではカザフスタンくらいだそう。
もしかすると縄文系の人が持ち込んだ日本産かもですね!

さらにギョベックリ=太鼓腹、テペ=日本語のてっぺんで、
「太鼓腹の丘」という意味だそうです。
「てっぺん」はトルコと共通した言葉と言うわけですね。

少し後の黒曜石文化遺跡「チャタル・ヒュユク」との関連も気になります。
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プロフィール

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茶人(別HN:さいおん南)
性別:
女性
自己紹介:
2019年までは普通のアニメ映画好き。この数年で一気に裏情報を知った者です。一応歴史を専攻していましたがそれまではそこそこ。裏古代史を知って俄然やる気が出てきて、人生史上一番本を読んでます

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