糸魚川〜諏訪行きは昨年秋に計画していたんですが、
ちょっと体調に自信がなく延期しその時は甲府盆地行きとなりました。
昨年の晩夏以降、自分の体調と向き合いつつ漢方を試してみたり。
いま操体法も行っていますが、結構良い感じです。
関越道から日本海側に出て糸魚川に行きます。
軽井沢と長野を通りますが、長野を過ぎると一気に車が少なくなりますね。
糸魚川:長者ヶ原遺跡・ジオパーク
ブラタモリポイントとしてしっかり紹介されていました。
先に長者ヶ原遺跡考古館へ。
長者ヶ原遺跡近隣には一宮の天津神社(ヌナカワ姫も祀る)があります
(パスしてしまいましたが)
親不知の宿で、ヌナカワ姫の祭りを先にしてから諏訪大社の祭りをするという
意味深なしきたりがあることを教えていただきました。
(諏訪大社はヌナカワ姫の息子タケミナカタを祀るため)
ホツマや古事記では、出雲(ヌナカワ姫の嫁ぎ先)でタケミカヅチとの力比べで
負けたタケミナカタが諏訪に逃げた話は有名ですが、
母ヌナカワ姫の出身地・糸魚川と諏訪は遥か旧石器時代の原始から
交流があったでしょうから、その縁だったのかも?
糸魚川は全時代を通して長野から日本海側に通じる要衝となった場所なんですね。
縄文時代中心の展示になっています。中期に足つきの土器が(右上)あるのが注目。
ブラタモリで出てきた、石を使った農具も。
また、個人の寄贈のヒスイ大珠のコレクションが圧巻です^^
在野の研究者の熱意によっても支えられているんだなと思います。
告知のポスター類も当然新潟中心になっていて、
いつもと違う場所に来ている感がありますね^^
ただその後行ったフォッサマグナミュージアムがかなり最新式で
華やかだったのでちょっとおとなしい感じがしていしまいます。
ボタン押したり映像を使う展示がほぼなかったので、改善してもいいかもですね
(ほかの考古館と比べてもやはり)
フォッサマグナミュージアムに来ると急に人が増えます^ ^;
地質についての映像資料も豊富です。日本だけでなく外国で発掘される
アンモナイト等の古生物の化石、鉱物も展示してあります。
日本でも多くはないでしょうが、トパーズなどが採取できるんですね。
そして17時を過ぎてもこの時期は活動ができるのがいいですね。
長者ヶ原遺跡の復元住居へ。屋外の完全再現住居は意外と初めて見ました。
中はかなり暗いです。
長者ヶ原は古くからこの名で呼ばれているということで、
ヒスイ名産地の長者のムラから、
ヒスイが奈良時代以降永らく忘れられても、
脈々とその誇りが無意識に受け継がれてきたのだと思います。
親不知
600メートルほどの遊歩道を往復。こちらは明治時代に
断崖を切り拓いて開通した道を利用しています。
屋根状になっていないので(というか全部取り除かないと崩れるからか)
崖の上まで削ったいうことですよね。
この高さから海岸に降りるには結構長い階段を降りる必要があります。
また、途中に旧トンネルがあり、覗くことができます
(蒸し暑いときはかなり涼しく感じます)
海岸には緑がかった石もチラホラ^^天気が良ければ降りたいところでしたが、
滑りそうな石がゴロゴロ、結構雨が降っていたのでやめておきました。
フォッサマグナパーク
ミュージアムから川をしばらく上った所にあり、
駐車場が分かりにくい配置になっています。
駐車場から1キロ弱ほど緩やかな傾斜を歩いて
フォッサマグナの境目に到着します。

境目は誰でも触れます^^確かに新しい地質=フォッサマグナのほうが
柔らかく土っぽく、古い地質は岩になっています。
外国人女性のかなりマニアかプロ?の方が
道中の石の様子をじっくり観察していました。
姫川沿い(フォッサマグナの境目の糸静線)を長野に下りて
(上って?)いきます。屋根ありやトンネルのカーブの多い道が長く続きます。
長野に入る前に恐竜を押している道の駅がありました。
大陸とつながっていた古いほうの西の地質に、
恐竜等の古生物の化石があるんですよね。
姫川の源流と思われる青木湖を過ぎますと、白馬になります。
道の駅のソフトは300円でボリューム感あります。
ゆるキャラにも力を入れている模様です。
そして安曇野、松本市街、塩尻を越して諏訪に入ります。
松本の手前あたりで、仁科氏の神社・仁科神明宮が目を引きました。
仁科氏は古代豪族・阿倍氏または安曇氏の系統で、
奈良時代伊勢神宮の御領「仁科御厨」を治めたんですね。
ブラタモリで安曇野回も設けられていただけのことはあります。
とは言え以上は例によって表面的な古代史であり、
この氏族にも裏古代史があるみたいです。
「仁科濫觴記」によると、
崇神天皇の皇子「仁品王」が大町(もとは「王」町・天武が変えたとのこと)
に降臨して仁科氏の祖となったとあるそうです。
例の天智・天武・持統with藤原が起こした倭国→日本への大革命により、
仁科氏も革命側の系統にすり替えられた、
というなかなか興味深い説が掲載されています。
このようにホツマの王統を受け継いだ地方政権を、
藤原色に塗り替えていったということなんでしょうね。
そして、諏訪に入ります。
諏訪大社上社本宮

諏訪四社の中で一番の規模です。
鹿を供物として捧げる、縄文以前の祀りを遺しています。
宝物殿には鹿首の剥製がたくさん。
そして鹿の狩猟権「鹿食免」やその証の「鹿食箸」を配布できるのは、
本宮と秋宮のみという所が注目です。
狩猟が推奨されなくなったのは公式では仏教以降ですが、
ホツマによると弥生ごろからその思想がありますね。
狩猟許可という特典もあり、諏訪信仰が中世に広まったそうです。
神社の規模もこの二社は格上という感じです。

そして手水の温泉が出ているのがこの二社ということも関わっている気が。
旧石器時代は土器がないため、お湯を取得する方法がより難しかった時代、
天然のお湯が入手できることが諏訪に人が集まった一つの理由と言われますね。
弥生時代のモチーフが使われているという、
かなり摩耗した社印の展示あり(これはリーフレット未掲載)
また、小さめの銅鐸が持ち手側で連なった形の「鉄鐸・サナギの鈴」も目を惹きました。
守矢氏が優れた製鉄技術を持っていたことを示しているとのこと。
一部界隈では生贄をささげるのに使用したともいわれる「硯石」もありますが、
失念していて現物は見逃しました。
お寺で見るような木造の屋根つき廊下「入口御門」もあります。
そして相撲の土俵が立派。
諏訪大社上社前宮
諏訪大社元の信仰の場と言われますね。社家と関連のある集落や
摂社・末社とともにオープンスペースになっています。

本殿の脇を「水眼」と呼ばれる川が流れます。湧水・清水の地に古代遺跡ありですね^^
本殿裏に古墳もあります。
また庭園として保存された弥生集落跡前に
コミュニティセンターと、遺物とパネル展示があります。
諏訪大社にとってかなり重要な場所ということがわかります。

6世紀ごろ土着の豪族・守矢氏が新入の神氏・大祝に政治権を譲り、
祭祀権は守矢氏が担うようになったとのこと。
これがタケミナカタの諏訪入り(タケミナカタが神氏の祖)
ともされているようです。
ホツマ的には時代が合わない気がするのですが、
タケミナカタが9世紀に活躍した伝承もあることから
タケミナカタの時代は確定しているわけではなさそう。
自分が思いついたのは、まず弥生時代に製鉄技術を携えた
タケミナカタ(出雲・物部系)が第一次諏訪入り。
その事象をたどって、丁未の乱から逃れた物部守屋の息子・
武麿が第二次諏訪入りし、神氏・大祝になった線もあったりして。
諏訪大社下社秋宮
拝殿は名工の作。その後ろにある東西宝殿は7年ごとに建て替えつつ、
古いほうも並べて残しています。春宮も同じ構造です。

ヌナカワ姫の子安社もバッチリありました^^
安産を願い、底を抜いた柄杓が奉納してあります。
宝物殿は本宮と秋宮のみにあります。こちらには鹿首はなく、
御柱に使う特殊な鋸「薙鎌」が目立ちました。
また戦艦の守護神社関連展示も。(これは香取神宮にもありましたが)
諏訪大社は北条氏が力を入れて祀り、元寇を神風で追い払ったのも
諏訪大社の神功によるとされているんですね。
そして神風再びということで、国家神道も力を入れて祀ったわけですね。
本宮に神道政治連盟?の機関紙がありました。
こういう勢力は大日本帝国を復活を目論見、
また庶民を悲惨な戦争に巻き込みたいわけです。
歴史認識も現在の国際情勢に関しても的外れ、
時代遅れな見解や会合の様子などが書いてありましたよ…
教義が隠され、無いことにされている、国家神道の最大の問題点ですね。

また、1909年開設の日本初のスケート場(天然で1-2月限定)
が近隣にあるようです^^
諏訪大社下社春宮
四社御朱印を完了したので、ノベルティをいただきました。
四社の中では一番小規模かな。
ですが
「筒粥神事」を行う役割を持っているんですね。

2月の春の祭りから8月の秋祭りの間は、神様は春宮にいらっしゃるということを、
お蕎麦屋の方がプライドを持って仰っていました。
店内に御柱を切り出した丸い板を飾ってありましたが、秋宮の二之御柱でした。
御柱祭りの後、御柱16本は諏訪四社の四隅に立てられ7年諏訪大社を守ります。
そして7年の役目を終えた御柱「御柱休め」で払い下げられるそうですが、
御柱をあえて交換しているということなのかな?
詳しいことは現地の方に聞かないとわからないかもですね。
こういう疑問をぱっとその場で聞く機転があるといいんですけどね。
岡谷市美術考古館
月曜日は公営の博物館が軒並み休館日のため、
開いている考古館に行ってみました。
10年位前までは市民病院や図書館があるゾーンにあったようですが、
駅近に移動していました。
建物は小さいですが、古代考古に特化しているので
資料数は十分だったと思います。
美術のほうは地元の画家の油絵中心。
まったりした顔の土偶がいいですね^^
土偶御朱印に参加している施設でしたのでもらいました。

9つの丸みがある波状縁土器も珍しい。
井戸尻考古館とのコラボ展示の、今はやりの植物圧痕土器も。
縄文に味噌づくりがあった可能性に触れたコラムも掲示されていました。
確実な証拠はないけれど、酒造りは確実にしていたので
ありえるかもというスタンスですね。
例の種をまく書籍は既に読んでますが、
締めが監視社会推進の諸悪の根源の一人、
ビ○ゲイツ上げをしていて悪い意味でヤバかったです。
研究者は体制支持している方がまあやりやすいんでしょうが、
人間の在り方を研究する立場であるなら
庶民の味方であるべきで、倫理観を持ってほしいところ。

初見のトロトロ石器や草創期の矢柄研磨機も注目。
これにて今回の糸魚川ー諏訪旅行は終了となりました。
ブラタモリで特集していた糸静線に沿ったルートもたどることができ、
実際通らないとなかなか気に留めないような仁科氏の存在や
諏訪四社のスケール感や宝物殿などから神道に対するスタンスを知ることができ、
充実した機会となりました。